精力絶倫

性欲が強いからハゲると信じている人がいる。アホだな。もしそれが真実ならば、性欲の塊、10代男はハゲばかりのはず。実際は、弱くなった老人が禿げている。

マカの歴史

マカの歴史は2000年以上遡る

マカは元々「チベット(現:中国の青海省)」の奥深くに自生していた植物です。

ではなぜマカがペルーで育てられているのでしょうか?

詳しいことはいまだにわかってはいませんが、最も有力な説は以下のようです。

「元々チベット民族だった人が移住を行った際にマカを持って行った。その移住者達が南米ペルーへたどり着いた為、そこでマカを栽培行い始めた。」

その移民たちが南米ペルーへたどり着き、マカを栽培し始めたのは今から2000年ほど前です。

しかし、チベットとペルーじゃ、あまりに距離が離れ過ぎていないか?

地球の裏側だ。

有力な説らしいけど、確証はないわけで、まあ、そんな説もあるというくらいに覚えておいた方が良いでしょう。

私は、信じない。

だって、マカの種を持って、ペルーに到達するまでに、どれだけの年月がかかったのか、計り知れない。

 

「2000年以上前から、ペルーで栽培していた」ということは事実であろう。

当時ペルーにも既に、マカは棲息していたのかもしれない。

そう考えるのが自然な気がする。

 

 

ペルーのスペインの侵略までの歴史

BC
紀元前
10000年  

南米大陸に、人が住み始める。
2000年 コトシュなどの、神殿を中心とした農耕社会が形成される。
1000年 アンカシュ県にチャビン文明が興る。(BC200年ごろ衰退)
巨石を用いた神殿、土器、石の彫刻、黄金細工も作られていた。
350年 パラカス文化(リマ南方)が興る。
農業と織物が盛んになる。
300年 チチカカ湖南にティアワナコ文明興る。
石材を使用した巨大な建造物を持つ宗教都市を形成し、約1300年間続く。
150年 パラカス文化の衰退に伴い、ナスカ文化が興る。
多彩色の土器を作ったり、灌漑用の貯水池や地下トンネルなどを整備するといった、高度な技術が見られた。
100年 モチェ文化興る。(北部)農業が中心の社会で、有名なシパン遺跡は、この時代後期のもの。
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西暦
800年 ティアワナコ文明の影響で、ワリ文明が興る。中心はアヤクーチョ近くのワリ。
中央アンデス一帯を支配し、計画的な都市づくりがされた。
これに伴い、各地の文化は次々に消滅する。
このころリマ郊外で、パチャカマク(神託都市)が栄える。
1000年 ワリ文明が衰退し、地方文化の時代になる。(シカン、チャンカイ、イカ王国などの時代)
1300年 北部でチムー王国が興る。
中心は北部トルヒージョ近郊のチャンチャン。黒色土器と織物、金銀細工が発達した。
1100年 インカ帝国が興る。中心はクスコ。
高地に興った文明で、高度差を活かした農業を行なう。またリャマなどの飼育も行なう。
領土は南ボリビア、チリ北部に達するほどの強大な国家で、首都クスコは帝国の首都として、都市計画に基づいて整備された。
飛脚制度や人口調査なども行なわれ、また医療技術も高度に発達していた。
王は、太陽神の子として崇められていた。
1533年 スペインにより、インカ帝国は滅亡する。

1528年、初めてペルー(当時はインカ帝国)に白人(スペイン人)がやってきます。

スペイン人のリーダー、フランシスコ・ピサロはそこで「インカ帝国には大量の金銀財宝がある」という噂を聞き、すぐさまコンキスタドールと呼ばれる征服部隊を編成。1531年に約180人の兵と37頭の馬を引き連れてインカ帝国約2万人と戦争を行いました。

戦力差100倍と普通なら無謀な戦いですが、インカ帝国には剣が存在せず木でできた弓や武器しか持っていません。一方スペインには剣や銃・大砲・馬などを投入したこともありインカ帝国は滅びました。

ペルーには、鉄の製造技術がなかったのですね。

馬もいなかった。

さて、この戦いではマカの有名なエピソードがあります。

スペインがペルーを征服した時、スペイン軍の連れてきた馬が高地の環境に順応できず、交配して子供を作ることなく死んでしまう危機に瀕した際、原住民の勧めでマカの葉を馬に与えたところ、みごと馬の繁殖に成功し、結果的にインカ帝国の征服に成功した。

マカ様、様だったことでしょう。

 

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